2014年7月22日火曜日

退役祭人

 「退役軍人」をもじっただっさいタイトルになってしまいました。OBとか言う言葉を使おうと思ったのですが、OGもいるよなとかいろいろ考えて造語を作りました。だっさいですわ。

 さて、私は学生(高専)の頃文化祭実行委員と言うものをやっていました。
 実行委員の仕事は非常に簡単です。
 「目的を達成するために与えられた役割を限られた予算と人材と期間で果たす。」
 です。残念なことに私は実行委員の核となる3年生、部門長の時代に気づくことができませんでした。

 では、何をしていたのか。

 今までに実績(1,2年生の時の経験)の延長に毛が生えたことをやっていました。そう。そもそも何かをやっていたのです。
 「何のために」そういう意識が足りなかったのだと思います。
 そもそも文化祭とは何のためにやるのかなぜやるのか。そういう根本的な話を核となる部門長同士で話し合い、目的をみんなで共有する。そうすることで実行委員全体で成果を出すことができる。
 今ならすぐにそういう考えができるのにどうして当時そういうことをしなかったのか非常に悔やまれます。
 しかし、いろいろなことを学ぶことができました。
 例えば仕事の作り方の難しさです。作業と言ってもいいかもしれません。
 「これやっといて」
 この一言を言うのは簡単ですが、言われた方は何をすればいいのかわかりませんし、やってみたところ全然違う成果が出来上がるなんてのはよくある話です。私は企画部門というところの長をやっていたのですが、ステージの催し物を企画、管理運営するのが仕事ですが後輩に企画書を書かせてもちっともいいものが出てこない。ということがよくありました。
 そんな当然のことがなぜわからなかったのか。
 言い訳ではないけど2つ。
 1.(自分が何をすればいいのかわからず)大量の作業を自分でやっていた
 2.なんのためにやっているのかわからなかった

 作業とは各部との調整から自系統の予算管理など手や口を動かすことはたくさんありました。それを全部一人でやろうと思い、ただひたすらに作業を行っていたのです。もちろん疲労は溜まり判断力は鈍り、作業効率は下がります。典型的な屑野郎ですね。
 そしてなんのためにやっているのか。それを考えていなかったがために後輩への指導やアドバイスに一貫性がなく、ただの気分屋の無茶ぶりというゲスの極み野郎になるわけです。先程の企画書の話もいいものが出てこないのは当然で、突き返したアドバイスは良し悪しだけだったのです。軸となる目的が無いため残念ながら僕もどうしたいのかわからなかったのでしょう。

 はっきり言ってその時の文化祭は一体感のない近年希にみる大失敗の文化祭だったと思います。私は、なぜこんなに頑張ったのに盛り上がりにかけるのだろうとか、もっと面白い企画が上がらないのはリソースが足りないからだとか思っていました。まさにゲスの極み屑野郎です。
 しかし、かたち上はつつがなく進みちゃんと終えることができました。人間とは良くできているもので一体感を喪失したことを棚にあげて「それでもしっかりやり抜いた」と解釈することができるのです。

 私は3年生から文化祭実行委員から距離を置きました。なぜなら部門長を終えたあと後輩にアドバイスを行うことができなかったのです。引き継ぎは事務作業の量を示し、方法や注意点を伝える。それしかなかったのです。
 もちろん「公開しないように一所懸命やって燃え尽きたからあとは後進に任せる」という格好いい前書きがあったのですが実際は会わせる顔がないが正解だったのかもしれません。情けないですね。

 今度文化祭OBOGでビアガーデンに行こうという企画があります。目的は旧友の親睦を深めるため。それぞれ会社や組織に属し狭くなりがちな視野を広げるという効果を期待して。

0 件のコメント:

コメントを投稿