日本に出回っているノートPCのほとんどが日本語キーボードである。
最近はコスト削減のためか,実績がないからか。
btoのノートPCも日本語キーボードが基本となっている。
さらにちょっと前までは英字キーボードを選べた(有料)のに
いまでは選ぶことすらできない。
なんてことがよくある。
というかそんなのばっかりである。
私は悲しい。
英字キーボードは日本語を打つ上では結構問題があったりする。
まず,英語⇔日本語変換をするのにAlt+‘キーを押すのだ。
日本語キーボードにある変換とかいうキーはない。
あと,Enterが小さい。日本語配列では逆L字型のサイズがあり
決定力のない日本人でも決定できる設計となっている。
これは素晴らしいことだが,何て言ったってダサい。
誤って押してしまうぐらい大きいEnterキーはすごくダサいよね。
あと,「あいうえお」がダサい。
しかも,このご時世かな入力する人は少数派です。
なぜ,かな入力するひとと英字配列使いたい人でこんなに待遇が違うのでしょうか。
きっと人口はどちらも同じぐらいなはず(適当)
本当にひどい話です。
英字配列のいいところはスペースキーが大きい。
どこからでもスペースキーにアクセスできる。
素晴らしいです。変換楽しいです。
あと,やはりあいうえおが印字されていないのでかっこいいです。
シュッって感じですね。ええ。シュッって感じ。
ただですね。私,HHKB(英字配列)使ってるんですが,
正直,英字キーボードってレベルじゃなくキー配列がクレイジーなので
今まで述べてきたようなことたしかにその通りなんですけど
どうでもいいわ,ぐらいに感じるんですよね。
しかもqwertyキーのままレジストリをdvorakに換えているので
まー初見の人はまず使えないよね。高度なセキュリティ(笑)
つまりは慣れですわ。慣れ。何事も慣れ。ブスも慣れ。美人も慣れ。
でも,キーボードにこだわるのはたいせつです。
コンピュータとのインターフェースですから,自分の使いやすいものを。
結局は慣れるんですけどね。
2014年7月27日日曜日
2014年7月22日火曜日
退役祭人
「退役軍人」をもじっただっさいタイトルになってしまいました。OBとか言う言葉を使おうと思ったのですが、OGもいるよなとかいろいろ考えて造語を作りました。だっさいですわ。
さて、私は学生(高専)の頃文化祭実行委員と言うものをやっていました。
実行委員の仕事は非常に簡単です。
「目的を達成するために与えられた役割を限られた予算と人材と期間で果たす。」
です。残念なことに私は実行委員の核となる3年生、部門長の時代に気づくことができませんでした。
では、何をしていたのか。
今までに実績(1,2年生の時の経験)の延長に毛が生えたことをやっていました。そう。そもそも何かをやっていたのです。
「何のために」そういう意識が足りなかったのだと思います。
そもそも文化祭とは何のためにやるのかなぜやるのか。そういう根本的な話を核となる部門長同士で話し合い、目的をみんなで共有する。そうすることで実行委員全体で成果を出すことができる。
今ならすぐにそういう考えができるのにどうして当時そういうことをしなかったのか非常に悔やまれます。
しかし、いろいろなことを学ぶことができました。
例えば仕事の作り方の難しさです。作業と言ってもいいかもしれません。
「これやっといて」
この一言を言うのは簡単ですが、言われた方は何をすればいいのかわかりませんし、やってみたところ全然違う成果が出来上がるなんてのはよくある話です。私は企画部門というところの長をやっていたのですが、ステージの催し物を企画、管理運営するのが仕事ですが後輩に企画書を書かせてもちっともいいものが出てこない。ということがよくありました。
そんな当然のことがなぜわからなかったのか。
言い訳ではないけど2つ。
1.(自分が何をすればいいのかわからず)大量の作業を自分でやっていた
2.なんのためにやっているのかわからなかった
作業とは各部との調整から自系統の予算管理など手や口を動かすことはたくさんありました。それを全部一人でやろうと思い、ただひたすらに作業を行っていたのです。もちろん疲労は溜まり判断力は鈍り、作業効率は下がります。典型的な屑野郎ですね。
そしてなんのためにやっているのか。それを考えていなかったがために後輩への指導やアドバイスに一貫性がなく、ただの気分屋の無茶ぶりというゲスの極み野郎になるわけです。先程の企画書の話もいいものが出てこないのは当然で、突き返したアドバイスは良し悪しだけだったのです。軸となる目的が無いため残念ながら僕もどうしたいのかわからなかったのでしょう。
はっきり言ってその時の文化祭は一体感のない近年希にみる大失敗の文化祭だったと思います。私は、なぜこんなに頑張ったのに盛り上がりにかけるのだろうとか、もっと面白い企画が上がらないのはリソースが足りないからだとか思っていました。まさにゲスの極み屑野郎です。
しかし、かたち上はつつがなく進みちゃんと終えることができました。人間とは良くできているもので一体感を喪失したことを棚にあげて「それでもしっかりやり抜いた」と解釈することができるのです。
私は3年生から文化祭実行委員から距離を置きました。なぜなら部門長を終えたあと後輩にアドバイスを行うことができなかったのです。引き継ぎは事務作業の量を示し、方法や注意点を伝える。それしかなかったのです。
もちろん「公開しないように一所懸命やって燃え尽きたからあとは後進に任せる」という格好いい前書きがあったのですが実際は会わせる顔がないが正解だったのかもしれません。情けないですね。
今度文化祭OBOGでビアガーデンに行こうという企画があります。目的は旧友の親睦を深めるため。それぞれ会社や組織に属し狭くなりがちな視野を広げるという効果を期待して。
さて、私は学生(高専)の頃文化祭実行委員と言うものをやっていました。
実行委員の仕事は非常に簡単です。
「目的を達成するために与えられた役割を限られた予算と人材と期間で果たす。」
です。残念なことに私は実行委員の核となる3年生、部門長の時代に気づくことができませんでした。
では、何をしていたのか。
今までに実績(1,2年生の時の経験)の延長に毛が生えたことをやっていました。そう。そもそも何かをやっていたのです。
「何のために」そういう意識が足りなかったのだと思います。
そもそも文化祭とは何のためにやるのかなぜやるのか。そういう根本的な話を核となる部門長同士で話し合い、目的をみんなで共有する。そうすることで実行委員全体で成果を出すことができる。
今ならすぐにそういう考えができるのにどうして当時そういうことをしなかったのか非常に悔やまれます。
しかし、いろいろなことを学ぶことができました。
例えば仕事の作り方の難しさです。作業と言ってもいいかもしれません。
「これやっといて」
この一言を言うのは簡単ですが、言われた方は何をすればいいのかわかりませんし、やってみたところ全然違う成果が出来上がるなんてのはよくある話です。私は企画部門というところの長をやっていたのですが、ステージの催し物を企画、管理運営するのが仕事ですが後輩に企画書を書かせてもちっともいいものが出てこない。ということがよくありました。
そんな当然のことがなぜわからなかったのか。
言い訳ではないけど2つ。
1.(自分が何をすればいいのかわからず)大量の作業を自分でやっていた
2.なんのためにやっているのかわからなかった
作業とは各部との調整から自系統の予算管理など手や口を動かすことはたくさんありました。それを全部一人でやろうと思い、ただひたすらに作業を行っていたのです。もちろん疲労は溜まり判断力は鈍り、作業効率は下がります。典型的な屑野郎ですね。
そしてなんのためにやっているのか。それを考えていなかったがために後輩への指導やアドバイスに一貫性がなく、ただの気分屋の無茶ぶりというゲスの極み野郎になるわけです。先程の企画書の話もいいものが出てこないのは当然で、突き返したアドバイスは良し悪しだけだったのです。軸となる目的が無いため残念ながら僕もどうしたいのかわからなかったのでしょう。
はっきり言ってその時の文化祭は一体感のない近年希にみる大失敗の文化祭だったと思います。私は、なぜこんなに頑張ったのに盛り上がりにかけるのだろうとか、もっと面白い企画が上がらないのはリソースが足りないからだとか思っていました。まさにゲスの極み屑野郎です。
しかし、かたち上はつつがなく進みちゃんと終えることができました。人間とは良くできているもので一体感を喪失したことを棚にあげて「それでもしっかりやり抜いた」と解釈することができるのです。
私は3年生から文化祭実行委員から距離を置きました。なぜなら部門長を終えたあと後輩にアドバイスを行うことができなかったのです。引き継ぎは事務作業の量を示し、方法や注意点を伝える。それしかなかったのです。
もちろん「公開しないように一所懸命やって燃え尽きたからあとは後進に任せる」という格好いい前書きがあったのですが実際は会わせる顔がないが正解だったのかもしれません。情けないですね。
今度文化祭OBOGでビアガーデンに行こうという企画があります。目的は旧友の親睦を深めるため。それぞれ会社や組織に属し狭くなりがちな視野を広げるという効果を期待して。
2014年7月16日水曜日
Nippon
サムライジャポンがW杯をイングランド,スペイン,イタリアと同成績で終えましたね。
優勝できなかったのは残念でした。
いや,もっと残念なのは面白い試合をしてくれなかったことですね。
胸の熱くなる試合。見たかったです。
さて,このワールドカップ,NHKのテーマソングは「Nippon」です。
椎名林檎が見事に作り上げたその名曲は「極右的」だとかの批判を受けていますね。
こんな言葉巧みな極右なら万歳ですわ。
私なりの解釈をつらつらと書いていこうと思う。
まず,冒頭のフレーフレーはいいとして,ポジティブワードがならんでいます。
「日本晴れ」,「草いきれ」,「あっぱれ」,「我ら時代の風雲児」
べた褒めですよ。全力の応援ですよ。
次にユニフォームの青に着目して「最果て目指して持ってきたものはたった一つ」
日本代表のチームカラーである「青」です。
そしてこの「青」は「静かに燃える炎」「気高い青」
ということで日本人の精神であるとかそういうのを青として表現していると思われる。
「鬨(とき)の声の声がきこえてる」とありますが,ピッチに入る前の歓声ですかね。
ここら辺は日本全国皆応援といったところでしょうか。
「爽快な気分~生命が裸になる場所で」までは試合が始まって試合に集中している
そんなときの気持ちやらを表現していると思う。
「ほんのついさっき~今を蹴って」は試合終盤といったところでしょうか。
そして,問題のフレーズです。
「ああまた接近している淡い死の匂いで」
これは前の「生命が裸になる場所で」というフレーズと対になってると思います。
全力を出し切ってまさにふらっふらになって「死の匂い」がするわけです。
その「至上の絶景」を冥土の土産にしようってわけですね。
「追い風が吹いている」から最後の英語の歌詞まで
日本人の静かな精神というものをくすぶる熱い歌詞だと思います。
日出ずる国,NIPPONですわ。
日が出ずるからなんだ,風が吹いてるからなんだ。
それでも,そのことが誇らしげに感じられる静かな精神といった感じですかね。
シリコンバレーのベンチャーのエンジニアが言うらしいんですよ。
シリコンバレーは300日の晴天が我々を支えてくれる。
徹夜で製品を作り上げたその朝に,晴れ渡った空を清々しく感じて
「なんて俺は天才なんだ」
と。
そういうどこから湧いてくるかわからない自信を日本代表に届けたかったのかな。
と,思うとすごいいい曲だと思えます。いいですね。リンゴさん。
優勝できなかったのは残念でした。
いや,もっと残念なのは面白い試合をしてくれなかったことですね。
胸の熱くなる試合。見たかったです。
さて,このワールドカップ,NHKのテーマソングは「Nippon」です。
椎名林檎が見事に作り上げたその名曲は「極右的」だとかの批判を受けていますね。
こんな言葉巧みな極右なら万歳ですわ。
私なりの解釈をつらつらと書いていこうと思う。
まず,冒頭のフレーフレーはいいとして,ポジティブワードがならんでいます。
「日本晴れ」,「草いきれ」,「あっぱれ」,「我ら時代の風雲児」
べた褒めですよ。全力の応援ですよ。
次にユニフォームの青に着目して「最果て目指して持ってきたものはたった一つ」
日本代表のチームカラーである「青」です。
そしてこの「青」は「静かに燃える炎」「気高い青」
ということで日本人の精神であるとかそういうのを青として表現していると思われる。
「鬨(とき)の声の声がきこえてる」とありますが,ピッチに入る前の歓声ですかね。
ここら辺は日本全国皆応援といったところでしょうか。
「爽快な気分~生命が裸になる場所で」までは試合が始まって試合に集中している
そんなときの気持ちやらを表現していると思う。
「ほんのついさっき~今を蹴って」は試合終盤といったところでしょうか。
そして,問題のフレーズです。
「ああまた接近している淡い死の匂いで」
これは前の「生命が裸になる場所で」というフレーズと対になってると思います。
全力を出し切ってまさにふらっふらになって「死の匂い」がするわけです。
その「至上の絶景」を冥土の土産にしようってわけですね。
「追い風が吹いている」から最後の英語の歌詞まで
日本人の静かな精神というものをくすぶる熱い歌詞だと思います。
日出ずる国,NIPPONですわ。
日が出ずるからなんだ,風が吹いてるからなんだ。
それでも,そのことが誇らしげに感じられる静かな精神といった感じですかね。
シリコンバレーのベンチャーのエンジニアが言うらしいんですよ。
シリコンバレーは300日の晴天が我々を支えてくれる。
徹夜で製品を作り上げたその朝に,晴れ渡った空を清々しく感じて
「なんて俺は天才なんだ」
と。
そういうどこから湧いてくるかわからない自信を日本代表に届けたかったのかな。
と,思うとすごいいい曲だと思えます。いいですね。リンゴさん。
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